Dalí・ダリ劇場美術館

ダリ劇場美術館で不思議の世界に遊ぶ

 

天才として生きたダリの人生・サルバドル・ダリは、1904年にフィゲラスで生まれた。彼自身の著作やそれをもとにした本には、ダリと同名の兄がダリお誕生の『3年前に7歳で脳膜炎で死んだ』と書かれているが実際は9カ月と10日前に1歳10カ月で亡くなっている。こうした、自分をとりまく世界を粉飾し偽りを言うのは、一人に驚きとめまいを与える彼の絵画表現と通じるものがある。

 

ダリは17歳の時にマドリッドの美術学校に入学したが、そのとき『学生の家』でふたりの人物と親しくなっている。詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカと映画監督ルイス・ブニュエルだ。その後、美術学校から発行されたダリはパリに出て、シュールレアリスム(超現実主義)グループの連中や、カタルーニャの前衛芸術家たちと付き合いながら、独自の発表を作り上げていった。

 

そして1929年の夏、カダケスを訪れた詩人ポール・エリュアールの夫人ガラと知り合う。初めての出会いで恋に落ちたふたりの関係は、1982年にガラが亡くなるまで変わることなく続いた。「人生の航路をつでに注意ぶかく見守る舵取り」だったガラの死後、ダリは衰えが目立つようになり、妻から7年連れて1989年に亡くなった。その遺骸はフィゲラスのダリ劇場美術館内に埋葬されている。

美術館はダリ芸術の集大成

 

かつて市立劇場だった美術館の建物は、スペイン内戦フランコ軍の爆撃によってほとんど廃墟となっていた。子供のごろから慣れて親しんだ建物を再現したいというダリの思いは、悲惨な状態状態を見るたびに大きくなっていったのだろう。美術館建設に際しては、ダリの記者会見がパリで1970年に行われた。19世紀のデカダンス(頽廃)を代表する画家モローの美術館が使われたのは、ダリ特有の生と死に対する考えと同時に、ダリ美術館に死の影が与えられることを示していた。

 

美術館は1974年9月、ダリが70歳のときに開館した。設計を担当したのは、すでにバルセロナのピカソ美術館を手がけていたふたりの建築家で、この円形劇場を巧みに構成している。入り口前の広場中央には、ダリのオブジェが訪れる人々を待ち受ける。また建物の外壁では、潜水夫やパンを頭に載せた女性像が美術館へと私達を誘う。中に入るとすぐに『雨降りタクシー』と題されたキャーデラックが目に飛び込んでくる。車のフロント部分には大きな胸をした女性像が胸を広げて立っているが、これはオーストラリアのウイーン幻想の画家の一人として知られる、エルネスト・フックスの作品『クイーン・エステル』だ。

 

この中庭を取りまく壁面にはイタリアの彫像を思わせる、生の叫びを上げる人間の顔をもつオブジェが飾られている。ダリの言葉によれば、建物体は死の法則にのっとっており、この場所には戦争で多くの魂がさまよっているのだ。それはまた「生を生きる前に、死を生きてきた」、亡兄の身代わりとしてのダリ自身の叫びであるのかもしれない。

Write a comment

Comments: 0
Omotenashi Barcelona Facebook Page

Share the site | サイトを共有する